九ちゃんとは、
2004年12月の出会いでした。
当時から本当に本当に可愛くて、
私は九ちゃんが大好きでした。
里親さんとご縁が繋がり、
それからも折に触れて九ちゃんの存在に助けてもらってきました。
中でも、
活くんが里親さんのおうちから迷子になって毎日毎日探しさまよい歩き続けて、、、
もうもう本当に精神的にも追い詰められ苦しすぎて肉体が限界を迎えていることにも気づかず。
毎日真っ赤なおしっこが出て、口にするのは栄養ドリンクと背中が痛くて痛み止めだけでした。
活くんが心配で眠ることも休むことも出来なくて、
深夜、早朝、朝、昼、夕方・・あてもなく前へ前へと。
前へ進んだからと言って、活くんを見つけられる保障なんてどこにもなく、
もうもはや進んでいる先が前なのか後ろなのか斜めなのかさえ分からない。
それでも足を止めることは出来ず。。。
という日々の中で、
「九ちゃんに会いたい。今会わなければ私はきっと倒れる(=活くんを見つけてあげられない)」と思い、
里親さんには突然の連絡となってしまいましたが、急きょ会わせてもらえることになりました。
特別なことはなにもしていません。
九ちゃんちの近くの公園を、少しだけ一緒に歩いただけです。
お散歩を終えて、里親さんちにすんなり帰り、里親さんの隣で落ち着いている九ちゃんを見て、
活くんもおうちに帰してあげなくちゃ。活くんを安心できる人のそばに連れてきてあげなくちゃ。
と、心の持ち直しが出来たのでした。
迷子捜索をする中で、
活くんが見つかったら・・・
預かりやめよう!やめたい!もうできない!
人に託すことがこんなに怖いなんて・・。
犬や猫と関わるのが怖い・・。
そう思っていました。
それから時を経て今も犬猫の保護をしていて、
里親さんに託すという譲渡もしているのは、
九ちゃんやほかの子たちが今も里親さんと一緒に 幸せに暮らしているからです。
それを、
九ちゃん家族の輪に入らせてもらって
直接その空気に触れることで、
私は今も細々と、
脱走や人に託すというある意味での恐怖と闘いながら、
希望をもって、夢をもって、明るい未来を信じて、保護・譲渡の活動を続けています。
一番苦しいときの支えになってくれた九ちゃんが、
10日朝、亡くなった と連絡をいただきました。
大変なショックと、里親さんの心情の心配と、
なぜかどこか安堵と、九ちゃんへの想いと、思い出と、色々あふれてきました。
最期の最後まで家族と一緒にいられることは、
当たり前であるべきだけど、犬猫にとっては奇跡みたいに、当たり前じゃないこと。
出会ったあの日から離れることなく最後の時を迎えた九ちゃんは、なんて幸せな犬生だったのだろうと。
「最期の時まで家族一緒に、幸せに」と願って送り出した私の願いは、叶いました。
願いがかなうってことは亡くなるってこと。
亡くなるってことででしか、願いは完結しないわけで。。。
願いが叶ったと両手をあげて喜ぶなんて出来ないけど、
幸せな一生涯だったことに対して、安堵しました。
突然死だったので里親さんは大変なショックを受けていらっしゃいましたが、
九ちゃんと過ごした日々の中での里親さんはいつも笑顔でした。
強くて優しい九ちゃんのお母さんです。
苦しい時間はあっても、
九ちゃんと過ごした楽しい日々を支えにこれからも笑顔で過ごしてくださると思います。
↑2005年当時、一緒に撮った写真です。なんてカワイイ。
里親さんからいただいた九ちゃんの写真。なんてカワイイ。↓
九ちゃんを里親さんにお届けして半年くらいは、
九ちゃんのことを想って泣きました。
「帰ってきてほしい」とすら思ってしまいました。
私の入り込む隙間なんて、最初からなかったのに。
九ちゃん、九ちゃん。
生まれてきてくれて本当にありがとう。
出会ってくれて本当にありがとう。
里親さんに出会わせてくれて本当にありがとう。
幸せに生きてくれて本当にありがとう。
いつも会えた時は「またね!」ってバイバイしていたから、
今回も「またね!」でバイバイしましょう!
またね!!